8月15日といえば「終戦記念日」。戦争と平和について改めて考えるイベントなども多く行われますが、沖縄では終戦記念日よりも6月の「慰霊の日」を大事にします。沖縄と本州で異なるこの違いとは?
そもそも終戦記念日ってどんな日?
日本で「終戦記念日」といえば、8月15日というのが一般的です。当日は日本政府による「全国戦没者追悼式」なども行われ、戦没者の慰霊と平和を祈念する特別な日とされています。
ではなぜ日本政府が8月15日を終戦記念日としているかというと、1945年8月15日に行われた玉音放送にあるとされています。玉音放送の「玉音」とは「天皇の肉声」のことを言います。つまり天皇自らが国民に向けて放送をしたことを「玉音放送」といいます。
1945年8月15日に行われた玉音放送では、天皇自らが国民に向けて日本が戦争に降伏したことを宣言しました。当時の様子を記録した映像では、国民がラジオの前で正座をしたままじっと放送の内容に耳を傾けている様子が映し出されているのが印象的です。
8月15日を終戦記念日とするのは日本だけ?
日本人であれば「8月15日=終戦記念日」が常識ですが、世界各国では8月15日を終戦記念日とは考えていません。
もちろん日本は敗戦国ですから、終戦記念日を「戦争終結の日」と考えるのも一理あります。では世界各国ではどうなのでしょうか?
まず日本に勝利をしたアメリカ合衆国は、9月2日を「対日勝戦記念日(Victory over Japan Day)」としています。
なぜ1945年9月2日に何が行われたかというと、日本がアメリカ戦艦ミズーリ号にて降伏文書に調印をした日だからです。もちろんこの調印には連合国を代表し、当時連合国最高司令官であったマッカーサー元帥が立会い・署名をしています。
9月2日を「対日勝戦記念日」としている国は、アメリカだけではありません。イギリス・フランス・カナダ・ロシアでも、アメリカ同様9月2日を記念日としています。
沖縄では終戦記念日よりも慰霊の日を大事にする

沖縄県では、8月15日の「終戦記念日」よりも6月23日の「慰霊の日」を大切にしています。1945年のこの日、沖縄では「沖縄戦における組織的な戦闘」が終結したのでした。
沖縄戦における組織的な戦闘が始まったのは、太平洋戦争末期の1945年4月2日のことです。連合国軍にとって沖縄戦は日本本土進攻の足掛かりとなる基地の確保が目的でしたが、日本軍にとっては本土決戦にむけた捨石作戦と位置付けていました。
すでに敗戦色が濃厚になっていた当時の日本軍にとって、沖縄は本土決戦の準備を整えるための時間稼ぎでしかありません。沖縄本島に上陸してきた連合国軍は圧倒的な兵力で次々と日本軍の拠点を攻略していくのに対し、すでに力を失っていた日本軍の兵力は到底それに及びません。
しかも本土から送り込まれた兵力はわずかなもので、それらを補うために沖縄の人々を強制的に戦闘に巻き込んでいきました。兵士として招集される年齢も徐々に広がり、村からは男性の姿は消え去ります。さらに少年兵や従軍看護婦として十代の子供たちも戦地に駆り出されました。こうした多くの民間人が犠牲となったのが沖縄戦です。
のちに沖縄県は、沖縄での地上戦によって犠牲となった死者・行方不明者の数を調査し発表しています。その調査によると、沖縄の地上戦で両軍合わせて20万人が犠牲となったといいます。
ところがそのうちの18万8,136名が日本側の犠牲者としています。18万8,136名の犠牲者のうち、沖縄出身者は日本側の犠牲者の約65%に当たる12万2,228名。さらに民間人の犠牲者は、沖縄出身の犠牲者の約77%に当たる9万4,000名にのぼります。
沖縄戦の犠牲者には、集団自決による犠牲者も含まれる
日本国内で唯一の地上戦が行われたのが沖縄戦ですが、この戦闘における本当の悲劇は「集団自決」による犠牲者です。
日本本土で「戦争」というと空襲や原爆などの犠牲者にクローズアップされますが、沖縄では直接的な攻撃による犠牲とは別に「集団自決」による犠牲者にも焦点が向けられます。
集団自決が起こった背景には、日本政府が当時行っていた皇民政策が火種となっています。
「降伏して生き恥をさらすなら、日本国民として潔く自害せよ」という強制的な思考を植え付けさせられた沖縄の人々は、「捕まったら生きているよりももっと悲惨な目に合う」と思い込みました。だからこそ、逃げ込んだ洞窟の中や断崖絶壁などで集団自決を図りました。
洞窟の中で行われた集団自決の中には、家族同士がカマやナタなどで殺しあうという地獄のような光景も含まれます。奇跡的に命が助かった人もいますが、多くの人がこの時に体験した悲惨な光景に苦しみ続けています。
沖縄県民にとって6月23日とはどんな意味を持つのか?
沖縄では6月23日を「慰霊の日」に定め、沖縄戦で犠牲となった人々の慰霊と恒久平和を願う日としています。この日は糸満市にある平和祈念公園で「沖縄全戦没者追悼式」が行われるほか、各地にある慰霊碑でも慰霊祭が行われます。

ところが日本中が慰霊と平和のために祈りをささげる8月15日の終戦記念日には、慰霊の日のような大々的なセレモニーは行いません。
なにしろ玉音放送が行われた1945年8月15日、沖縄はすでにアメリカ軍によって占領されていました。6月23日に沖縄での組織的戦争が終わったあとも、人々はアメリカ軍によって収容所に入れられ、土地は強制的にアメリカ軍に占領されました。そして本土復帰したあとも、沖縄には多くの米軍基地施設が残されたままです。
このような歴史を振り返ってみたとき、沖縄における終戦はまだ訪れていないといえるかもしれません。それでも沖縄県民が6月23日を慰霊の日として大切にするのは、犠牲者の慰霊のためだけでなく、悲惨な歴史を私たちの手で二度と繰り返さないために自戒の念を込めているのかもしれません。