
様々なヒット曲を世に出しながらもいつの間にかに消えていた沖縄出身のグループ【フィンガー5】。ところが未だにフィンガー5人気は衰えません。それどころかこんなところでは今も超人気者なのです。
現役時代のフィンガー5はとにかくすごかった!
沖縄が本土復帰を果たした直後の1973年に「個人授業」という曲で一気に大ブレークした伝説のオキナワングループ・フィンガー5。その後も「恋のダイヤル6700」「学園天国」「恋のアメリカン・フットボール」など次々にヒットし、沖縄だけでなく日本を代表する人気グループとなったのがフィンガー5でした。
なんといてもフィンガー5の魅力といえば、ハイトーンボイスのメインボーカル・アキラの人気が凄かった!もともとはマイケル・ジャクソンがメンバーだった「ジャクソン5」がモデルになったといわれるフィンガー5ですが、マイケルに負けないくらいの美しいハイトーンボイスは、当時の女性たちならず多くの人が虜になりました。
トレードマークのビッグメガネも「いかにも沖縄っぽい感じ」があり、一気に沖縄が注目されるようになったきっかけを作ったといってもいいでしょう。
フィンガー5解散後も実は別の名前で活動していたアキラ
フィンガー5の人気は、アキラの変声期を機に少しずつ変化していったというのが一般的なイメージにあると思います。でも実はそうではありません。
アキラの声変わりが始まったといわれているのが、「学園天国」がヒットした年の夏ごろのことです。そうはいってもその年にはフィンガー5が主演を務めた映画が公開されたりアキラのソロシングルが発売されるなど、まだまだ人気絶頂の時期でした。そのためその後も「上級生(恋の台予感)」や「華麗なうわさ」などを発売し、日本レコード大賞ヤングアイドル賞など数々の賞を受賞しています。
ただその後アキラは、一度本場アメリカで音楽修行を行っています。約半年のアメリカ修行を終えた後に再び活動を開始しますが、フィンガー5としての活動よりも徐々にシングルとして活動することが増えていきます。
フィンガー5としてのグループは公式には引退を発表していませんが、1978年に発売したシングルを最後に実質上の解散・引退をしたといわれています。
アキラの活動はその後も続いていた!
実質上の引退をしたフィンガー5ですが、アキラはその後もフィンガー5メンバーの光男と正男とともに「ザ・フィンガーズ」というグループ名で活動をしていました。とはいえザ・フィンガーズとしての活動はほとんど目立ったものはなく、改名から約2年後に活動休止しています。ところがここからが本当のアキラのスタートになります。
声変わりによってあの魅力的なハイトーンボイスは聞けなくなってしまいましたが、その後本場アメリカでの音楽修行によってさらに深みのある声を手に入れたアキラは、形を変えながらも音楽活動を続けます。
ただ面白いのが名前も「アキラ」「AKIRA」「T.AKIRA」と次々と改名し、最終的にたどり着いたのが「晃」。現在は歌だけでなくイベントや人気テレビ番組の出演、さらには舞台と様々な分野で活躍を続けています。
フィンガー5の衣装は未だにある分野では超絶人気
今から思えばあのド派手で奇抜な衣装は「あの当時でなければさすがに受け入れられなかったはずだ」と思っているあなた。もちろん全盛期のフィンガー5の衣装が今の流行ファッションとして若者たちに受け入れられる日が来ることはたぶんないと思われますが、ある分野においては未だに絶大な人気を誇っています。
それが子どものお遊戯会!
何しろ白いパンタロンスーツにキラキラなスパンコールとヒラヒラを取り付ければ、誰でも簡単にフィンガー5に早変わり!しかもフィンガー5のヒット曲は、ノリノリのオールディーズメンバーばかりです。だから当時のフィンガー5のことを全く知らない子ども達でも、リズムに合わせて踊りやすいのです。
ただ子供のお遊戯会の場合「みんなで一緒の衣装」が前提にあるので、フィンガー5ではなく「フィンガー○○」になるのが定番です。沖縄ではオジー・オバーから小さい子供たちまでみんなが楽しめるのがフィンガー5の曲なので、お遊戯会でこの曲が流れるとたちまち会場中が熱気で包まれます。さすが沖縄が誇る伝説のグループ!今もその人気は絶大です。